眞鍋 かをり(まなべ かをり、1981年3月31日 - )は、日本の女性タレント、元グラビアアイドル。アヴィラ所属。
姓の「眞鍋」の「眞(真)」は本人の意思により旧字体の「眞」を使用。ラテ欄では「真鍋」と表記される事が多い。
年譜
1981年
3月31日、愛媛県西条市に長女として生まれる。他に弟と妹がいる。
1999年
愛媛県立西条高等学校卒業後、横浜国立大学教育人間科学部(国際共生社会課程)に入学。
大学入学前に初めて1人で入った渋谷の吉野家を出たところでスカウトされ芸能界入り。
雑誌「ホットドッグ・プレス」のドリームガールグランプリを受賞。
2000年
東洋紡水着キャンペーンガールに選ばれる。
日本テレビ主催の日テレジェニックに選出される。
2001年[1]
DVD作品「TERRORS 闇夜~DARKNESS~」にてドラマ初主演。
映画「ウォーターボーイズ」でスクリーンデビューを飾る。
志賀高原観光大使に任命される。
2002年
「BOON!」の番組企画で普通自動車運転免許を取得。当初はオートマチック(AT)限定だったが、後に限定解除する。
2003年
3月、大学卒業。
11月、普通自動二輪車運転免許を取得。
2004年
6月30日より自身のブログ「眞鍋かをりのココだけの話」を開設。あっけらかんとした日常生活の着眼点と発想の面白さ、自らを「オイラ」と称する独特の文体からたちまち人気ブログとなる。
ブログ内の画像で眼鏡美人姿を披露したことがきっかけで、トラックバック数日本記録を樹立するに至り、マスコミから「ブログの女王」の称号を受ける。
2005年
8月、自身のブログをまとめた「眞鍋かをりのココだけの話」(インフォバーン刊)を発売。発行部数20万部を突破するベストセラーとなる。
この年の話題の人物として、年末の紅白歌合戦に審査員として出演。
2006年
2月、テレビ東京のトリノオリンピック中継のキャスターを務める。
11月、書籍「オイラの美力」(集英社刊)を執筆。
11月、ハッスル親善大使に就任。
2007年
4月、テレビ東京のスポーツニュース番組「メガスポ!」でニュースキャスターに初挑戦。
中学英語やりなおし本である千葉栄町求人「学校では教えてくれなかった英文法<基本編>」「学校では教えてくれなかった英文法<応用編>」(表参道出版) を執筆。
7月、第4回納豆クイーンに選ばれる。自身はおやつや酒のつまみで食するほどの納豆好き。
10月、第20回メガネベストドレッサー賞の芸能人部門に選ばれる。
2008年
4月、デビュー10周年記念エッセイ「女子!?ごころ」(ワニブックス)を刊行。デビューのきっかけから家族の事、恋愛についてまでを赤裸々に綴っている。
11月、フードアナリスト4級の資格を取得するととも千葉ソープランドに、日本フードアナリスト協会のイメージキャラクターに就任。
「うめ」と名付けた柴犬を飼い始める。
2009年
3月、低価格ファッションブランド『g.u.(ジーユー)』の「ジーユーの女神」に任命される[5]。
人物・エピソード
趣味:モータースポーツ観戦 。
特技:アナウンス、イラスト。
スポーツ:剣道。
お酒の飲みっぷりがよく、『『ぷっ』すま』『笑瓶観光』などでお酒が出てくると勢いよく飲み始め、ほどよく酔っ払って収録に参加している姿が見受けられる。『タモリ倶楽部』では飲み企画の常連となっていて、収録中に酔っ払う姿が披露されている。1日にビールを5〜6本は飲むため、自宅の冷蔵庫は冷えたビールが常に満杯になるようにしているとのこと[7]。
好きなバラエティ番組の衣装はセーラー服。ヤンキー仕様の赤いセーラー服を着ていた際に「結構気に入っている。ずっと着ていたい」と発言した。
2006年2月、スキンケアブランド「プロアクティブ」の日本市場キャスターに就任。ニキビで悩んで「引きこもりだった」ことを告白。同社から「NO!ニキビーナス」の称号を贈られる。
「IT企業の社長って上から見下してるんじゃないかと思うんで何か嫌ですね」や「昨日○○のパーティーいってさ〜」とか言われるとはぁ〜?って感じで」と言いIT関連の男性が苦手であると語った。
ボタンフェチという独特の嗜好の持ち主でもあり、ボタンを噛んだり、体にこすったりすると語っている。またボタンを飲み込んで窒息しかけたことがある。本人曰くボタンにも良いボタンと悪いボタンがあるとの事。
本名である「かをり」の由来は母親の友人の名前と告白。
プロポーズされる時のセリフは(ドラゴンボールの孫悟空のように)「結婚すっか」が理想だと語った。
インリンが好きで、酒に酔って「インリン・オブ・ジョイトイ!」と言いながらM字開脚をしてしまった事があると語っておりまた自身のブログではコオロギの死体が開脚をしている状態をコオロギ オブ ジョイトイと題して掲載した事がある。
2007年1月24日の出演で、江原啓之に「オーラの色は、冷静な青と情熱の赤。前世は巫女さんであり、それより前は、ヨーロッパで小さい時に親元を離れ生活のために労働を強いられた過去があり、その姿はフランダースの犬の主人公であるネロのような格好で郵便配達をしており、最後は流行病(インフルエンザのようなもの)でゴミのように捨てられて死んでいった、と告げられた。また美輪明宏から「結婚相手は、ツイードを着てるようなよっぽど洒落た人。ツイードを着てる人はインテリか本物の仕立てを知ってる人よね。そこらへんの雑巾ファションの人じゃない。芸能界じゃないと思うの。出版界か学究職の人ね。」と予言された。
タクシーを拾おうとして待っていると一人の女性に右隣に立たれてしまい、これでは先にタクシーを拾われてしまうと思った眞鍋は、その女性の後ろを通ってさらに右隣に立つと今度はその女性が眞鍋の前を横切って右隣に立たれてしまい、負けてなるものかと思った眞鍋は「あきらめましたよ〜」なフリをしてさらに右に立ち去ろうとすると、その女性も右に移動し始め、ヒートアップした二人はそのまま早や歩きで競って行ったところ大通りに出てしまいタクシーがいくらでも拾える状況となった為、二人ともタクシーを拾えたという。
タートルネックを一枚で着ることに抵抗があるとの事(胸などの体のラインがはっきりと出てしまう為)。
踊る!さんま御殿!!に出演、「好きな人への気持ちが冷めてしまった時」というテーマについて、眞鍋は当時憧れの人とみんなでレトロゲームのスーパーマリオブラザーズをやったが、あまりに下手なので失望してしまったというエピソードを披露。「スーパーマリオの一面で最初のクリボーに当たって死んだんですよ。もうこの人だめだな、って思ったんですよ。始まって超Bダッシュでいきなりクリボーに当たってるんですよ!?」と語り、出演者たちを笑わせた。
体が柔らかく、足首を通常の可動範囲よりも大きく回したまま歩いたり[17]チアリーダーのように左右に大きく開脚してジャンプしたり「I字バランス」のように足をハイキックして垂直に振り上げたりすることができる。ただし、デビュー当初は『アイドル王』の体力測定コーナーにて、開脚前屈をしようとしたものの、90°以上開脚出来なかったというエピソードも有る。
何度か同郷(愛媛県)出身の声優・水樹奈々と間違われたことがある。なお、逆のケースもある。2009年12月13日に、映画レイトン教授と永遠の歌姫の試写会で初対面を果たしている。
2002年、当時レギュラー出演していたモータースポーツ情報番組「BOON!」の企画でホンダの名車“エスハチ”こと「S800」をレストアする企画に挑戦し、その年に栃木県のツインリンクもてぎにて開催された「CART第3戦もてぎ」のオープニングセレモニーで復活したS800のステアリングを握ってオープニングセレモニーを盛り上げた。
ネットにまつわるエピソード
かつてWordを用いて自らWebサイトを作り、ファンと直接コミュニケーションを取っていた。しかし、多忙になり管理が行き届かなくなったこと、それに付け込んだ人物の執拗な攻撃に遭い2001年5月に同サイトを閉鎖している。ハンドル名「Q」を名乗る人物による、『殺す』と脅迫する内容の投稿があり、直後に開催されたイベントでは一時警備が増強された。眞鍋は自分のサイトが原因で周りに迷惑をかける事態が起こったことに責任を感じ、閉鎖決定後に「閉鎖理由」としてファンへのお詫びと共に書き込んだ。
2004年6月30日から開設している自身のブログ「眞鍋かをりのココだけの話」には、驚異的な数のトラックバックがあり、一記事に対するトラックバック数がトラックバックスパムも含め3000を超える場合もある。その数は日本一といわれており、「ブログの女王」と呼ばれた。当時ヤクルトに在籍していた古田敦也選手に「打倒眞鍋かをり」と、古田の公式ブログにてトラックバック数の目標にされたこともある。2005年8月に後日談などを大幅に加筆した上で書籍化された[22]。宣伝用に本に付けられる帯の文章も古田が担当。逆に12月に古田のブログが書籍化された時には眞鍋が帯を担当した)。2004年7月の警察庁セキュリティポータルサイト@policeのインタビューによれば、公式ブログ開設前の2003年に名を隠してブログを持っていたが、友達に止められたとのこと。
2004年7月12日のブログに伊達眼鏡をかけた写真を「なりきりTommy february6」と称して掲載したところ大受けしてアクセス数が急増し、トラックバック数最高を記録した。
2004年10月に「爆笑問題のススメ」の中で森村誠一をゲストに迎え「言葉の暴力」について論じていた際、2ちゃんねるでの悪意の書き込みをする輩に対し森村と太田光が批判した際、眞鍋は「(そういうタイプは外にも出られないし、友達も居ないのだから)やらせてあげましょうよ」と発言する。
2005年12月5日には眞鍋のブログがニフティの「ココログ」に開設されている縁から、ニフティが開設したサイト「ブログ普及委員会」の委員長に就任した。
2006年1月、安全にPCを利用するための啓発活動として、キャッチフレーズ「マナベにまなべ」を掲げ「CHECK!PC」キャンペーンのイメージキャラクターに起用される。また自身のPCが多数のスパイウェアに感染していたと告白。これについては高木浩光にスパイウェア対策ソフトを売るためのFUDの可能性を指摘された。
かつてはブログにおける一人称として「オイラ」を使用していたが、プライベートで"オイラ"といわなくなったことから「私」を使用するようになったとインタビュー記事で述べている。
posted by hase01 at 21:03|
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